to the top



銀座今・昔


                          銀座ワイナックス  星野和夫
 なぜドイツワインなのか
  人には誰にでも転機があり、その要因となる出会いがあるものである。レンズに興味
 を持ち、その故郷ともいうべきドイツに2、3年留学したい、それが大学生の頃の私の
 希望だった。ところが、ドイツ語修得のために行ったベルリンで、ベルリンフィルの演
 奏会を聞き、心底圧倒されてしまった。これが病みつきとなり、それから後のベルリン
 フィル演奏会はほとんど聞くようになった。語学のためだけだったのに、ベルリンから
 離れられなくなり、ベルリン工科大学に入学してしまった。
  1972年から2、3年の予定が、もう1年、もう1年と延びてしまい、とうとう8
 年間も同地に住むことになってしまった。その間に、もうひとつの重要な、いや私にと
 って決定的な出会いがやってきた。
  ある知人のお宅のパーティーに招待され、そこで信じられない飲みものを飲ませてい
 ただいたのである。それは黄金色をしており、蜂蜜どころではない深い甘味、葡萄から
 とは思えない魅惑的な香りを持っていた。正に神々の飲みもの「ネクター」とは、これ
 に違いないと思えた。それはトロッケンベーレンアウスレーゼ、つまり貴腐ワインであ
 った。翌日、私は本屋に走り、ワインの解説書を買い、どうしてこのようなワインが出
 来るのか、辞書を片手に調べ始めた。その後、私はますますワインの世界に魅せられ、
 旅行の際はいつもワイン産地を選んだ。こうしてドイツワインの魅力が徐々に分かって
 きた頃、とうとう帰国することになった。帰国して驚いたのは、ドイツワインの本がほ
 とんど無いことだった。
  ドイツワインには本当に素晴らしいものが沢山あるのに、それを知らせるものがない。
 何とかしなければいけない、そうして出版したのが「ドイツワイン全書」(柴田書店)
 である。本を出してみると、今度は魅力あるドイツワインが輸入されていないことに気
 がついた。能書ばかり吹聴しても魅力あるワインが無くては意味がない。そうして半ば
 義務感から、ドイツワイン専門の輸入会社を設立することになった。
  これが株式会社ワイナックスであり、現在、銀座ワイナックスとして営業するに至っ
 ている。

 ドイツワインの真実
  十年前と比べれば、ワインは随分ポピュラーになった。しかし、ワインといえばフラ
 ンス産が最高と信じている人が多く、映画や小説で話題になるワインもフランス産が多
 い。でも、ちょっと待っていただきたい。確かに赤ワインについては反論の余地がない
 が、白ワインの話になれば別である。赤ワインも白ワインも葡萄から作るわけで、色が
 ちがうだけだと簡単に片づけられないのである。赤ワインの場合は、黒葡萄を使用し、
 果皮から色を採る。太陽が燦燦と輝き、色素が果皮に十分生成され、糖分がたっぷり貯
 えられることが必要で、この点フランスやイタリアなど南方に利がある。しかし白ワイ
 ンでは、酸が重要な役割を演ずる点で、ドイツが有利なのである。
  より南の地方では、糖分は十分でも酸が少なくメリハリが出にくい。また、ドイツで
 は収穫が遅く、葡萄はより長い間地中からミネラル分(これも白ワインでは重要)を吸
 い上げる。更にドイツでは多くの葡萄品種が栽培され、互いにブレンドしない。収穫時
 期に幅があり、収穫ごとに個別のワインを作るので、様々なワインが生まれる。
  そんなわけで、ドイツの白ワインは、間口が広く奥行きも深い。ただ生産量がフラン
 スの六分の一前後でありとりわけ優秀なワインは、国外に輸出されることが少なく、な
 かなか有名になる機会がない。しかしワインは嗜好品であるから、少ないことが評価さ
 れない理由にはならない。むしろ大量に生産される甘口の安いワインが主に輸出され、
 またこれが他のワイン生産国にないため定番化し、ドイツワインのイメージを形成して
 しまったことが問題といえる。ドイツワインには、甘口から辛口まで(正確には極辛か
 ら極甘まで)様々な品種の様々なワインが存在する多様性が魅力なのであるが、その多
 様性故に分かりにくいのも事実である。少し探求心をもって勉強すれば、ドイツワイン
 の世界を楽しむことができる。ワインは、理解しようと努めなければいけない交際相手
 のようなものであるが、ドイツワインの場合はちょっと気むずかしい。でも、親しくな
 れば、その魅力のとりこになること間違いなし、そして毎日が楽しくなる。

 ドイツワインと日本の食
  ワインはレストランで洋食を食べながら飲むというのはもう過去のこととなり、この
 頃では和食にもワインが飲まれるようになってきた。実際、平均的な日本人なら、週に
 一度のフランス料理はよしとしても、二度三度となると食欲が出ないと思う。洋食・中
 華を時々、和食を基本とするのが日本人の体質に適しており、また健康的でもある。そ
 ういう日本人の食卓に一番合うのがドイツワインであることは、あまり知られていない。
  個人の嗜好の差はあるが、日本の食卓には、赤ワインより白ワイン、フランスやイタ
 リアよりドイツのワインが適している。ポリフェノール故に、赤ワインを薬の如く飲む
 というのは、ヘルシーな和食を食し、男女ともに世界有数の長寿を全うする日本人には
 必要ないというのは極論であろうか。私は十年以上も前から和食にはドイツワインが最
 適のパートナーと主張してきた。もちろん、ここでいうドイツワインとは、甘口系ワイ
 ンではなく辛口系ワインのことである。
  ドイツワインは品種や造り方により実に多彩で様々な料理に必ず合うワインが存在す
 る。その証明でもあり、最高の贅沢また最高にヘルシーなのが「寿司とドイツワイン」
 を楽しむことである。中辛のリースリングを飲みながら、ただ寿司をつまむというので
 はない。様々なネタのそれぞれにピタリと合うワインを選び、両者のハーモニーを楽し
 むのである。こんなことができるのはドイツワインならではなのである。まず、子持昆
 布にはゼクト(スパークリング)を、ヒラメにはフランケン産ジルヴァーナのカビネッ
 ト、ウニにはよく熟成したバーデン産ゲヴュルツトラミナーのシュペートレーゼ。大ト
 ロには樽香が強くない赤をといった具合である。当店でも時おり「寿司とドイツワイン
 の会」を催しているが、いつも満席大好評である。
  ドイツの白ワインには酸を十分含むものが多い。酸性度は胃酸のそれに近く、食しな
 がら飲んでも胃酸の働きを妨げることが少ない。また十分な酸とアルコールとの相乗効
 果による殺菌作用もあり、なまものが多い和食にはもともと向いているのである。ヘル
 シーな和食にヘルシーなドイツワイン、あなたもぜひ一度お試しあれ。
                                    (終り)

銀座のタウン紙《ポルトパロール》から転載
江戸西音は星野和夫のペンネームです

ドイツワイン全書(柴田書店) ポケット・ブック ドイツワイン(鎌倉書房)

to the top